2009年02月19日

恋文


大正五年八月廿五日朝 一の宮町海岸一宮館にて

文ちゃん。

僕は、まだこの海岸で、本を読んだり原稿を書いたりして 暮らしています。
昼間は 仕事をしたり泳いだりしているので、忘れていますが
夕方や夜は 東京が恋しくなります。

しかし、東京が恋しくなるというのは、
東京の町が恋しくなるばかりではありません。
東京にいる人も恋しくなるのです。
そういう時に 僕は時々 文ちゃんの事を思い出します。

文ちゃんを貰いたいという事を、僕が兄さんに話してから 何年になるでしょう。
(こんな事を 文ちゃんにあげる手紙に書いていいものかどうか知りません)

貰いたい理由は たった一つあるきりです。
そして その理由は僕は 文ちゃんが好きだという事です。
勿論昔から 好きでした。今でも 好きです。
その外に何も理由はありません。

僕のやっている商売は 今の日本で 一番金にならない商売です。
その上 僕自身も ろくに金はありません。
ですから 生活の程度から云えば 何時までたっても知れたものです。
それから 僕は からだも あたまもあまり上等に出来上がっていません。
(あたまの方は それでも まだ少しは自信があります。)
うちには 父、母、叔母と、としよりが三人います。

それでよければ来て下さい。

僕には 文ちゃん自身の口から 
かざり気のない返事を聞きたいと思っています。
繰返して書きますが、理由は一つしかありません。

僕は文ちゃんが好きです。それでよければ来て下さい。

一の宮は もう秋らしくなりました。
木槿の葉がしぼみかかったり 弘法麦の穂が
こげ茶色になったりしているのを見ると 心細い気がします。
僕がここにいる間に 書く暇と書く気とがあったら もう一度手紙を書いて下さい。

「暇と気とがあったら」です。書かなくってもかまいません。
が 書いて頂ければ 尚 うれしいだろうと思います。

これでやめます 皆さまによろしく

芥川龍之介

恋文





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あの芥川龍之介が書いたと思えないような

素朴で、甘酸っぱくなる文章

作品とのギャップがまた魅力なんでしょうね

やっぱり男前は違うブゥ~




Posted by 字伏 at 20:08│Comments(2)
この記事へのコメント
良い恋文ですね~。
芥川龍之介とわかるまで、「誰だろう・・・。石川啄木?違うな・・・誰だ??」といろいろ文学史に出てくる人を想像していましたが、龍之介とは全然思いませんでした。こんな手紙貰うと女はイチコロですね(笑)
Posted by ゴン介 at 2009年02月25日 11:05
ゴン介さん
いいでしょ~
たまには恋文かきたくなったのでは?
Posted by チェ・ブゥ~ブゥ~ at 2009年02月26日 00:09
 
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